平成26年1月16日に東京・新宿区のホテルグランドヒル市ヶ谷で開催された第54回交通安全国民運動中央大会分科会における企業部会の基調講演の要旨です。
講師は一杉正仁先生(獨協医科大学法医学講座准教授)です。
わが国では2013年の交通事故死者(事故後24時間以内の死亡)が4373人と、1951年以降最低の数字を記録した。この背景には、エアバッグの装着や車体構造の工夫といった自動車安全性能の進歩、飲酒運転の厳罰化などの法律改正、救急医療体制の整備などが挙げられる。しかし、依然として年問に77万人以上が交通事故で負傷している。政府は、「平成30年を目途に、交通事故死者を半減させ、これを2500人以下とし、世界一安全な道路交通の実現を目指す」という目標を掲げた。したがって、さらなる死傷者低減のためには、新たな視点で適切な対策が要求される。
さて、わが国では運転者の体調変化による事故は少なからず発生している。しかし、その現状が社会的に注目されず、さらに、効果的予防対策が講じられてこなかったことは事実である。残念ながら、2011年に栃木県鹿沼市で登校中の小学生6人がクレーン車にはねられて死亡するという事故が、2012年には京都の祇園で、暴走した車にはねられて8人が死亡するという事故が起きている。いずれも運転者の疾病に起因した事故である。もう、これ以上悲惨な事故が生じないように、対策を講じなければならない。したがって、運転者の健康状態に注目すべきことは喫緊の課題なのである1)。
諸外国の調査では、交通事故死の1割以上で、運転者の体調変化が事故原因となっている。わが国では包括的な調査がないものの、最近の救急医療施設からの報告で、同様傾向であることが確認された1)。体調変化の原因であるが、原因疾患としては心疾患、脳血管疾患、てんかんが多いことは共通していたが、その頻度については報告された施設によってさまざまである。ところで本邦では、職業運転者に対して、「運転者の疾病により、事業用自動車の運転を継続できなくなった」場合には、その旨を国土交通省に届け出ることになっている。もちろん、この届け出は事業主に課せられている自主的な報告であること、届け出なかった際の罰則がないことから、全ての例が掌握されてはいない。著者らは、情報開示請求を通してこの詳細を分析した2)。すると、原因疾患では、脳卒中が最も多く、心疾患、失神、消化器疾患と続いた。生命を脅かす心疾患及び脳血管疾患はもちろんのこと、失神、消化器疾患、てんかんといった、比較的軽症な疾患も正常な運転を妨げる原因となる。したがって、自動車を運転する人では、すべての疾患に対して、そのコントロールを良好に行う必要があろう。
ひとたび、運転中に大きな発作や重篤な体調変化が生じると、事故を回避することは困難である。われわれは、自動車運転中の突然死例を対象に、事故現場の状況から車両の軌跡を調査し、ハンドルあるいはブレーキ操作があったかを検討した3)。その結果、事故直前に回避行動が認められたのは僅か26.5%であり、多くの例で回避行動は認められなかった。また、前記の職業運転者を対象にした調査でも、体調変化直後にハンドル操作や制動を行って事故を回避できたのは対象例の35.3%であり、64.7%では十分な回避動作がとられずに事故につながった2)。そして、1事故当たりに平均して、トラックの事故では5.6人、バスでは5.2人、タクシーでは1.7人の死傷者が出ていた。運転中の体調変化では、このように一般交通社会参加者を危険な状態にする実態が明らかになっている。
運転中の体調変化は突然襲ってくると思われがちであるが、多くの人では、発症前に何らかの異変が感じられているようである。症状は本人しか自覚できないこと、人の感覚には個人差があることから、一概に基準を設定することは困難である。しかし、運転中あるいは運転直前に異変を感じたら無理に運転をしない、ということを社会に啓発し、さらに関係各所での教育を徹底した方が良いと考える。これについては、科学的にも検証されている。米国における検討では、自動車運転中に失神発作をおこした人の87.4%が、発作前になんらかの前駆症状を自覚したという4)。前駆症状を自覚した際に運転を中止していれば、意識消失による事故も予防できたであろう。
無理に運転を続けるとどうなるか。職業運転者を対象とした前記調査によると、体調変化を自覚してからも無理に運転を続ければ、高率に事故につながること、そして疾患に対する治療が遅れることになり、みずからの生命をも危険にさらすことが分かった2)。無理に運転を続けても決して良いことなどない。もちろん、事故を防ぐために運転者がしっかりと健康管理を行う必要があることは法でも定められている。道路交通法第66条では、「何人も、過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない」と規定されており、過労運転等については、第117条の2の2第7号に「3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と記されている。したがって、自動車を運転する人に対しては、健康管理を適切に行うことが自己責任として求められている5)。
今一度、運転中の体調変化が事故につながるという事態を国民に啓発し、自己責任のもとに疾患を良好にコントロールすべきことを周知させる必要があろう。日常的に自動車を運転する人には、みずからの健康をしっかりと管理する義務があるのである。さらに、自動車道転中に病気が発症して、正常な運転が継続できなくなっても、事故につながらないようなシステムが近い将来に実用化されることを願いたい。
なお、本項で紹介した内容の一部は、日本損害保険協会自賠責運用益拠出事業「運転中の体調変化による事故発生状況の実態調査と交通事故死傷者低減に向けた効果的予防対策の提言に関する研究(2011年~2013年)」の一環で行われた。
(ひとすぎ・まさひと)